民間会社出身校長の登用や土曜寺子屋、夜スペシャル、よのなか科、地域本部など従来の公教育での既定概念を覆す斬新的な取り組みをしている東京都杉並区立和田中学校を視察いたしました。
車1台がやっと通れる狭い路地を抜け、学校の正門をくぐると、ワープロで印刷された和田中学校という表札を私が迎えてくれた。
教室の表札もすべて手づくり。校舎はかなり老朽化しており、お世辞にもすばらしい環境の整った施設とは言えない。
それに比べ、本市小・中学校の施設の充実ぶりを改めて再確認。
校舎に入ると、何人かの生徒とすれ違う。
こんにちはという元気のいいあいさつ。
先生と生徒の声もいい意味で友達感覚。
風通しがよく、学校全体に明るさ、活気を感じた。
4月に着任したばかりの2代目の民間会社出身校長の代田校長から、1時間にわたり教育改革に臨む熱き思いを伺った。
着任早々でまだ手探り状態のように見受けられたが、教育界に一石を投じ、大きな成果を残した前任校長の藤原氏の取り組みを効果検証し、さらに、生徒の利益を第一に考え、合理的な取り組みと学校経営にスピードの観点を持ち込み、藤原路線を一歩進めた新しいものに取り組むべく、3年間の任期を完全燃焼するという強い意気込みが感じられた。
その後、校舎内の空き教室を事務所として利用し、土曜寺子屋や夜スペシャルなど、次々と新しい取り組みを企画、運営しているいわば和田中の教育改革を支えている地域本部を訪問し、地域本部のスタッフで松山出身の女性から地域本部についての話を伺うことができました。
現在、地域ボランティアの総数は約70人。
図書室や土曜日学校の運営、学校の緑の管理や部活のサポートなどの業務に毎日教員とほぼ同数の地域ボランティアが和田中学を訪れ、子どもたちとは親や教師との縦の関係でもない、友達との横の関係でもない、地域のおじさん、おばさん、お兄さん、お姉さんとの斜めの関係を築いているそうであります。
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地域社会が学校を支える
住民参加型国際貢献活動
愛媛県出身で、カンボジアで地雷除去支援をしている高山良二氏と懇談する機会を持った。
自衛隊でのPKO活動でのノウハウを役立てる為、
単身カンボジアに渡り、地域住民ともに地雷の除去や井戸の採掘等、復興支援活動をしており、
物や金だけ援助すればいいというのではなく地域住民に復興活動の技術を伝授することが大切であるとする、
日本の海外援助のあり方について長年の体験に基づく貴重な意見を拝聴することができた
米国ワシントン州高校野球チーム来松
米国、西海岸の最北部、カナダ国境に位置するワシントン州のオーバン・ケント市から高校野球チームとその家族総勢45名が11月22~24日に来松した。
ワシントン州は、イチローのいるシアトルマリナーズのまちとしても有名で、日系人も多く住んでおり、今回来松したチームも長谷川さんという日系人が監督である。
青少年の国際交流と健全育成促進の趣旨で有志の議員連盟を結成し受入れのお世話役の一員としてお手伝いをさせて頂いた。
米国チーム一行は、来松初日、市長を表敬訪問した後、松山城や道後温泉を観光し、夜は奥道後で歓迎レセプション、そして2日・3日目に坊っちゃん球場で松商、新田,済美、松山東高校と交流試合を行った。
米国チームは、平均身長は180センチを越え、走力、筋力等、個々の身体能力は格段に上であった。
しかし、野球はチームプレー、細かい技術は日本の方が優れ、試合結果は日本の4戦全勝だった。
長谷川監督いわく、松山の、まちの素晴らしさ、子ども達の野球に対するひたむきな姿勢、食文化等の日本の異文化に触れ多くの事を体感でき大変有意義であった。
今回の受入れにあたっては、皆が素人、ホテル、バス、球場、対戦校の手配や、スポンサー、協賛金の要請等、手探り状態で大変だったのだが、やりきった後の充実感は、これまでの苦労が一気に吹っ飛ぶ何物にも代えがたい爽快感だった。
(20年11月24日)
真夏の夜の夢、各地域で夏まつり、岐路にたつまつり
子どものころ、夏になれば、両親に浴衣を着せられ手を引かれ、地域のお地蔵さんの夏まつりに連れて行ってもらった。おめん、金魚すくいや綿菓子等夜店の賑わいや盆踊りの懐かしい風景が、毎年お盆時期になれば必ず、セピア色の思い出として甦ってくる。
年々都市化が進み郊外に居を移す方が多くなった市内中心部では、地域の繋がりが薄れ、また子どもの数も激減し、昔のように夏祭りで浴衣姿の家族連れを見ることは非常に少なくなった。
松山では、三津の花火大会、松山まつり、そして夏の終わりを告げる日切り地蔵まつり(お日切りさん)等、時代の変化、また観光的な要素も加味して、年々、華やかに、賑やかになってきている。
私は、松山まつりの野球拳踊りに毎年参加している。ちなみに野球拳は、大正13年、伊予鉄の野球チームが高松遠征で敗戦後、夜の宴会での余興で、川柳家でもあった前田伍健氏が即興で作り披露したのがはじまりで、その後、欽ちゃんのコント55号により大ブレーク。
最近、札幌のよさこいソーラン踊り、高知のよさこい踊り、また県内でも宇和島のガイヤや今治のおんまく等、現代風、ロック調に曲をアレンジし、衣装も従来の法被や浴衣ではなく、専門のデザイナーが手がける。
先日、高知の知人とまつりについて談議する機会があった。
土佐のよさこいも、若い人や県外の人が多くを占める中、本来のよさこい踊りの原形を踏襲する部分が少なくなり、ダンス発表会になりつつあると憂えていたのが印象深かった。
時代とともに変えてもいい部分と、反面原型を守り、伝統文化として後世に伝えて行かねばならない部分も必要なのかなと思う
トライアスロン中島大会
今年も、昨年に引き続き中島地域の最大のイベント、トライアスロン中島大会に挑戦した。
夏休み最後の日曜日8月27日、天気は快晴、スタートは午前10時、気温は既に30℃を越えていた。
中村松山市長の合図で、約400名のアスリート達がいっせいにスイム(水泳)スタート。トライアスロンの醍醐味はこの瞬間だ。
少しでも最短距離をと、コース取りに水中での壮絶なバトル、長丁場ゆえに体力の消耗に配慮し闘争心を抑え心身ともにリラックスを心がけ、1500mを泳ぎ切り、次は40kmのバイク(自転車)に挑む。比較的起伏の少ない海沿いのコース。風景を楽しみ、また島の人達の声援に後押しされ、風を切り爽快に、ペースも次第に上がる。平均時速30km、急カーブでの転倒、パンクに気を配りながら走りきり、最後は3種目の中で一番得意な10kmラン。
ここまで抑え気味で来たので、まだまだ余力十分、「よし挽回だ!」と意気込んでランスタート。
と同時に、早くも先頭がゴール。ショック・・・・。
スタートから2時間経過、正午を過ぎ、気温は35℃近くまで上昇している。アスファルトの照り返しで体感温度は恐らく40℃くらいであろう。暑さ、疲れ、そして空腹に耐えながら、一歩一歩、歩を前へ進める。
途中、ボランティアの小中学生が、氷水を頭からかけてくれる。島の人達総出での応援、800名を越えるボランテァスタッフの皆さんに支えながら感動のゴール。
スイム38分45秒、バイク1時間24分04秒、ラン47分48秒、トータル2時間50分37秒。出場401名中、173位。これが、私の暑い夏の挑戦結果です。
(18年8月27日)
夜回り先生講演会
愛媛県内の超党派の若手市議会議員で情報交換、議論し、互いの資質を高めて行こうという趣旨で結成した愛媛平成市議の会が今年で結成10周年を迎え、県民にその存在をアピールし、何かお役に立てればとの趣旨から、市民公開講座を開催した。
5月22日(月)、平日のお昼下がりにも関わらず、会場の松山市民会館中ホールには700名の定員、ほぼ満員の盛況。講師は、白髪まじりで少し寂しくなった頭髪、人生もほぼ先が見えその表情にも少し疲れが感じられるどこにでもいそうなおじさん。
しかし、このおじさん、全国で年間延べ回数、400回以上の講演会をこなし、しかもどこに行っても会場はいつも超満員。
元定時制高校教師、夜回り先生と呼ばれ、15年間にわたり深夜の繁華街に一人で立ち、
夜のまちに居場所を求めてやってきた子ども達と真正面から向き合い、
シンナー・覚せい剤等の薬物汚染や暴走族から子ども達を守り続けている水谷修氏であった。
「さらば哀しみの青春 今私達にできること しなければならないこと」という演題で90分間の講演会、
夜回りの実体験を通じて昼間の世界から締め出され夜の世界に徘徊する1万人を超える子ども達と関わり、
シンナー中毒での幻覚症状により自らトラックに飛び込み命を絶った少年、
不特定多数との性交渉によりエイズ感染し壮絶な死を遂げた少女等、
大人が作った暗闇の世界で亡くなった子ども達は25名、彼らの短い人生を多くの人に伝えることで、
周りの大人が、暗闇に沈み、もがき苦しんでいる子ども達の悲しみに気づき、
手を差し伸べて欲しいという水谷氏の魂の叫びが聞く者の心に響く、そんな講演会であった。
(18年5月22日)